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黒姫山バック

関西・中部そして関東からのシュプール号が闊歩した信越山線。

大阪エリアからは、シュプール妙高志賀。名古屋からはシュプールユーロ赤倉志賀。
そして関東エリアからは、シュプール信越&シュプールレインボー信越。

シュプール信越は、189/489系での設定が主力でしたが、
1994年冬は、シュプール戸狩野沢と併結で14系シュプール信越が設定されました。

上野への復路、途中での停車時間の長さが敬遠されてか、翌年からは設定がなく、
シュプール戸狩野沢の単独運転に切り替わってしまいました。




1994.1.16 EF62-41+14系6B シュプール信越
信越本線 黒姫~古間 ニコンF4S ニッコール50/1.4 KR


明日からの3日間、この地を169系妙高が走り抜けます。
今回は遠征出来ませんが、黒姫・妙高が笑顔で出迎えてくれる事を期待したいです。
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冬の風物詩

冬の風物詩といえば、やはりこれしかないかと思います。

カマから立ち上る煙も良いのですが、客車から漏れる煙もまた味がありました。
東日本の電化地区ではEG化されていたので、こういった光景は非電化でのみ見られましたが、
西日本エリアは、ほとんどがSG使用でしたので、東海道スジの荷物列車でも良く目にした光景でした。




1985.1.13 826レ 山陰 オハネフ12
山陰本線 福知山 ニコンF ニッコール50/1.4 KR


この当時、ハザは12系化されており、SGはオハネフ12のために使用されてました。
SG車が1両ゆえ、カマからのエアーが余るのか、勢い良くSGを噴出すシーンが見られました。

PFあけぼの

上野と青森を結ぶ、ブルトレ「あけぼの」


いまは上越線経由で運転されていますが、私にとっては東北・奥羽線経由の思いが強いです。
最盛期は、3往復設定され、ロネも2両連結されており、まさしく名門ブルトレでした。

それが今や9両で、ハザ扱いの車が2両連結。時代も変わったものです。
とはいえ、そんな時代の流れに沿って運転が続けられているのは嬉しい話です。




1987.11.8 EF65-1030+24系
東北本線 東大宮~蓮田


国鉄時代は宇都宮区のPFでしたが、この時は田端に変わっていたかと?

81牽引も良いんですが、やはり初期型PFがしっくりくると感じています。

シュプール白馬栂池

かって、雪便りが聞こえる頃になると、気になったのがこのシュプール号。



スキーバスに巻き返しを図ろうと、国鉄末期に設定が開始され、90年代初頭は全盛期に。



しかし、スキー人口の減少とマイカーへのシフト等々で、今やついにその設定はなくなってしまいました。


特に、PC/DCをフル活用して大糸北線へ運転されたシュプール白馬栂池は印象深く残っています。
広島からのホリデーパルの団臨が設定された日には、なんと7本ものスキー列車が闊歩!
撮影場所移動もままならないほど、過密ダイヤが設定されておりました。

北陸支社の運転報を確認するため、わざわざ支社内の小駅に手土産持参で出向き、
運転報をノートに書き写させて頂いたのも、いまは思い出となりました。




1991.1.13 DD16-10+R14X6+DE10
大糸線 姫川~頚城大野 ペンタックス6X7 165/2.8 RDPⅡ


ロケーション抜群の大糸線ゆえ、再びの設定を望みたいところですが、
もはやそんな需要は残っていないのが現実かも知れません。

卒業式の日

1980年3月1日

忘れもしない、高校卒業の日。
家から徒歩5分ほどの公立高校。京都の公立高校は、特有の自由さがあり、
制服はなし、門は終日開けられたまま、という今では考えられないオープンさがありました。
とくに私の通っていたH高校は自由闊達さが感じられました。




その日の朝、カメラ・三脚一式を京都駅のコインロッカーへ放り込み、式に出席。
卒業式が終わると速攻で京都駅へ。。。


最後くらいは制服で、と卒業式に臨んだので、制服姿のままカメラバック・三脚を担ぎ出撃!
いまはなき、急行「くまの」で一路亀山を目指しました。



長きに渡って紀勢本線で活躍した亀山区のDF50。
そのラストランが、まさしく1980年3月1日の事でした。




1980.3.1 DF50-57+26
紀勢本線 下庄~亀山




最後の走りを撮影し、駅へ戻ると、地元亀山高校の吹奏楽部による「蛍の光」が、、、、
亀山機関区へ戻る両機を送り出すための心憎い演出でした。



卒業式でも涙が出なかったのに、この瞬間に涙ぐんでいた自分自身が、そこにいました。
もう、28年以上前の出来事ですが、昨日の事の様に鮮明に記憶が蘇ります。

10/25 撮影記

篠ノ井線に旧客が走る、、、

そう聞いたとき、「これは行かねば」と。
善光寺平バックで一枚押さえたい、という気持ちで会社の同僚と出撃してきました。


まずは、定番の姨捨公園へ。
結構な賑わい方で、なんとか場所を確保。



2008.10.25 9522レ
姨捨~桑ノ原(信)


速攻撤収し、高速で聖高原へ追っかけるも、あえなく目前通過。。。


返しの送り込み回送を撮るべく、これまた定番地へ。



2008.10.25 回9521レ
聖高原~姨捨


記録的写真は、まずは押さえたので、当初予定の善光寺平バックを。
予報では、「晴れ」なのに「ドン曇り」の天気。。。
列車と背景の露出差が相当ありましたが、ここはキャプチャーNXで(爆)



2008.10.25 9521レ
姨捨~桑ノ原(信)


ここで一旦終了し、昼食後、長電をプチ訪問。
16時過ぎでないと2000系が走らないとあって、また露出に苦慮。
ここでは、ISO1250撮影を余儀なくされてしまいました。



2008.10.26 15B 2000系
長野電鉄 北須坂~小布施


交換の「ゆけむり」まで撮影し、再び姨捨を目指します。
狙いは、スイッチバック線の善光寺平バルブと駅バルブ。

スイッチバック線では、停車位置を想像しながら場所を決定。
前回の飯山工臨でもお世話になった長野の友人と途中から合流していたので、
友人の予想で「115があの位置だから、カマの先頭は、、」と勝負に出ました。

結果は、まさしくその位置にカマが停車。
オハニ36の白熱灯と共に、バルブ成功。
「これで、来年の写真展の作品が一枚完成!」(^^)


急ぎ駅へ戻り、バルブ撮影を再開。
やはり多くの人達で賑わっていましたが、罵声が無かったのが何より良かったかと。


夜汽車の雰囲気を出したくて、後ろから狙ってみました。



2008.10.25 回9532レ
姨捨駅


停車時間が長かったので、様々なカットを撮り終え、本日の予定終了となりました。


早朝から夜まで運転してくれた同僚と、今回もお世話になった長野の友人に、
この場を借りて御礼申し上げたいと思います。


さあ、次回はDD16重連&D51498かな!?

プラレール第一号

EF66の新更新色、通称プラレール。

この54号機が一番最初にそのカラーを纏い、広島工場から出場しました。
帯が太い白色で、パッと見ただけでもその違いはハッキリと判ります。

旧更新色が減少しつつありますが、個人的にはこの新更新色、結構気に入ってます。




2008.7.20 EF66-54 遅れにて列番不明 
東海道本線 長岡京~山崎

限界撮影

ここ1~2年で急速に進化したデジ一眼。

私が全面的に銀塩→デジタル化して、早くも2年とちょっと。
銀塩時代の機材利用にて基本N社を使い続けてきていますが、
高感度撮影領域の拡大は、目を見張るものがあります。

昔なら、とっくに諦めていた状況でも、何とか記録出来る。
ポジが手許に残らず、データのみというのは寂しいのですが、
スリーブをルーペで確認するだけの時代から、2Lに自家プリントする時代に変化しました。


いま、関東での撮影には、D300を使用しているのですが、
メーカー公称使用ISO感度は3200までとなっています。

その一歩手前のISO2500で1EVアンダーの状況で撮影し、
RAW現像で+1露出補正したのが、このカットです。




ニコンD300 AFEDニッコール80-200/2.8D
1/500 F3.2 ISO2500 RAW AdobeRGB

いつもは600ピクセル幅に解像度を落としていますが、今回は1600ピクセル幅です。
やはり、ここまで感度を上げるとプリントも2L位が限度の様で、ノイズも目立ちます。
*画像をクリック頂いたら、ノイズ感がよくお解り頂けると存じます。

メーカー公称値の半分位までに抑えて撮影するのが一番かな?と思ったり。。。

デジ一眼ご使用の方々の何らかのご参考となれば、幸いですm(__)m

混合列車 茨城交通編

1984年2月の貨物輸送大改革前、全国には解結貨物(今で言う車扱的列車)が多く走ってました。

黒色のワム90000を始めとして、ワム・ワラ・ワキ・トラ・トキそしてヨ。
全国津々浦々にまで張り巡らされた路線に、貨物が直通していました。

国鉄では、五能線や倉吉線、釧網本線等で混合列車の姿が見られましたし、
ローカル私鉄では、別府鉄道・津軽鉄道・大夕張鉄道等々で、その姿がありました。


関東では、ここ茨城交通で混合列車が走っていました。
晩年は、これも毎日という訳ではなく、隔日位の割合で貨物が連結されていたと思います。



1983.11 茨城交通 中根付近にて


新鶴見や武蔵野・吹田といった大ヤードがその使命を終えたのも、その改正の時でした。

来春で、あれから25年。つくづく時の流れの速さを感じます。

東京区のゴハチ その5

東京区ゴハチシリーズ その5

これも可動式スノープロウ付で注目機だった124号機。


原型小窓時代は撮影機会に恵まれずで、Hゴム化された後の姿です。
当時、「大宮工場に入った」=「Hゴム化されて出場」という図式があり、
大宮工場は、「悪の根源」みたいに言われていたことも懐かしい思い出です。




1982頃 8106レ EF58-124+品座スロ81系
東海道本線 瀬田
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RDP3

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