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行くで東北~冬のごほうび1983~夜行座席急行の思い出

本日もお越し頂き有難うございます。

37年近く前の記憶を呼び起こしつつ、今日も記していきたいと思います。

1983年3月5日

急行「八甲田」の自由席の座席確保がしやすいよう、仙台から一旦福島へ。
福島2312~青森615

急行「八甲田」は12系9Bに荷物を付けた10B組成。
ハザシ1Bで、残りはすべてハザという輸送力列車。
上野を19時過ぎに発った八甲田、黒磯辺りまでは夕通勤でも利用され、仙台辺りまでは最終昼間急行としての役割も果たし。
直通客も多いものの、区間利用者も多く、仙台までは入れ替わりも多い列車
福島から乗り込んだ私は、相席ながらも1ボックス一人の所を見つけ、先客の女性に「空いてますか?」と確認して無事座席を確保。

周遊券で夜行急行の自由席で旅をするのが当たり前だった時代、相席になった人と「どちらまでですか」とか「どちらから」という話題から話をすることが多く、この夜も相席の女性と話の華を咲かせることに。
こういった、旅での偶然の出会いというか、ふれあいというか、それが楽しみで気ままな一人旅を良くしたものです。

その彼女、年齢的には私と変わらず、東京から北海道へ帰る旅の途中の由。
どんな話をしたか記憶が薄れていますが、その彼女のお手製の「にんじんのケーキ」をご相伴に預かったのは鮮明に記憶しています。
仙台を過ぎてしばらくしてからでしょうか、2時間ほど話をした後、就寝。
12系で2人1ボックスですから、線路に直角になる形で眠りにつきました。

翌朝、浅虫のあたりで目ざめると窓の外は雪がこびりついた状態。
青函連絡船で北海道へ帰る彼女と、一晩世話になった八甲田の前で記念撮影したのが、下のショットです。

8302-103re.jpg

1983.3.6
103 盛アオ12系

彼女の連絡先を教えてもらい、京都へ帰宅後、大キャビネ(13X18)の写真に仕上げ、手紙をしたため郵送。
その後も何度か手紙のやり取りはありましたが、やがて途絶え。
もう名前すら忘れてしまいましたが、二十歳の頃の旅の思い出として、今も記憶に残っています。

袖触れ合うも他生の縁、といった言葉がまだキチンと通用した時代。
車内はたばこの煙が漂い、座席も今と較べると快適さとは程遠い状態でしたが、「旅行」ではなく「旅」を楽しめた時代であったと思っています。


*Yahooブログ時代に、当件について記していたはずですが、今回の撮影記をしたためるにあたり再度記事としてアップさせて頂きました。

(続く)
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No title

青函接続時代には間に合わなかったのですが、93年に周遊券で東北巡りした時には
郡山や福島から八甲田・津軽・臨十和田を宿にしていました。
席空いてると声掛けたら、仙台から乗ってくるとの返答でガックリ。

急行では無いですが、函館発の「ミッドナイト」ボックス自由席に居合わせた方々と話し込んだのが
懐かしいです。

No title

こんばんは。

自分も全く同じことをしていました。周遊券で乗れた自由席の八甲田や津軽は宿代を浮かせるために使い翌朝はそのまま撮影地へ直行していました。
写真を拝見すると同じスタイルでとてもお似合いのカップルに見えます。
この時代は気軽に車内で会話をしていましたね。
1人旅だと現地でちょっとした写真のモデルになってもらい住所を聞き写真を送りその後は手紙でのやり取りでしたがいつの間にか自然と消滅しました。何人の方と知り合いになったかわかりませんが今では名前も覚えていませんけど。
記事を読み当時の事を事を思い出しました。

Re: No title

南東北エリアから、八甲田や津軽のハザに乗るのは、ハードルが高いですよね。
私は閑散期でしたので良かったですが、夏休みとかは厳しそうで。

自由席で相席になった方と色々話せる、旅の楽しみでしたね。

Re: No title

こんばんは。

同じような行動パターンでしたか!!
当時は急行自由席というと、色んな旅の出会いがあったもので、それも楽しみの一つとなっていました。
気軽に声をかける事も出来ましたし、そこからいろんな話が出来たのも嬉しかったです。
いまは、その面ではプライバシー優先というのか、そんな列車すらなく、ちょっと寂しいです。
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